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代表者インタビュー

今、頑張っている人、挑戦したい人、
夢を叶えたい人。
小倉メリヤス製造所はそんな人たちの夢
への
通り道でありたいと考えます。

小倉大典

小倉メリヤス製造所 
代表取締役社長
東京ニットファッション工業
組合理事

東京都墨田区出身。大学卒業後、専門学校教員経験を経て、2003年に小倉メリヤス製造所入社。その後、上海に赴任し、2005年現地自社工場上海笑子服飾有限公司を設立。2015年代表取締役社長就任。

夢を追いかけている、
一生懸命頑張っている人たちを
応援したい。
喜ぶ姿がみたい。

小倉メリヤス製造所からは、「お客様を応援したい」という姿勢が強く感じられますが、その思いはどこからきているのでしょうか。

僕の人生の中で3つ、ターニングポイントがありました。
1つめは高校時代に応援団に所属していたこと。応援団って、優勝するとか明確なゴールがないんですよ。なのに練習や上下関係はとても厳しかった……じゃあ何のためにやっているの?となったときに、やっぱり「応援して喜ばれること」なんですよね。
僕たちが応援した試合で、「大ちゃんの応援のおかげで1点が取れたよ!」と言われたときは本当に応援してよかったと感じました。

2つめは大学時代。夏休みに離島のダイビングショップ兼ペンションで丁稚奉公をしていたのですが、例えば新婚旅行など、人生の記念にしたいというような特別な想いで旅行にくるお客さんが多かったんです。そこでなんとかお客さんに素敵な思い出を作って帰ってもらいたい、喜んでもらいたいと思い、星空や海が綺麗な場所などへ案内してあげたりしてました。自分がおもてなしをしたことで「大ちゃんと一緒だから良い思い出ができたよ!」と喜んでくれて。それが嬉しくて、毎年行っていました……(笑)。

3つめは教員時代。これが決定的でした……大学を卒業して専門学校の教員になったのですが、学生の就職など人生を左右するような大事な事柄を応援するのに、毎日奮闘していました。その学生たちが卒業するとき、泣きながら「先生のおかげで就職できたよ、ありがとう!」と言ってくれて。人から泣くほど感謝される、こんな素敵な仕事があるんだ!!しかもお給料をもらいながら……なんと贅沢な……。

こうした経験を経て、今の僕の「応援する」というスタンスになったわけです。会社自体も、「糸へん業界で一生懸命夢や希望を持っている人を応援する」をコンセプトに掲げて、日々お客さんと向き合っています。

小倉大典の応援団時代。

僕、実は気前の良い定食屋の親父になりたかったんですよ、今でもなりたいですけど……(笑)。夢を追いかける若者に、ご飯大盛りでサービスして「出世払いで良いよ!」なんて言いながら一緒に夢を語り合う、みたいな。
その底辺には、やっぱり学生時代や教員時代に感じた「夢を追いかけている、一生懸命頑張っている人たちを応援して、喜んでもらいたい」という思いなんですよね。

「会社を継ごう」と決意した動機は何だったのでしょうか。

僕は小さい頃から「後継者」として育てられたという感じではないのですが、ある2人がきっかけで家業を継ぐ覚悟を決めました。

1人目は祖母です。僕はおばあちゃんっ子で、小さい頃からとても可愛がってもらっていました。祖母は僕が生まれたとき、「後継(アトツギ)が生まれた」と大喜びしていたらしく、近所の人に自分からお祝いを渡しちゃうほど舞い上がっていたと、祖母が亡くなった時に祖母の友人から聞かされました。
2人目は父。父からは「継いでほしい」とは言われたことはなかったのですが、僕が社会人3年目を迎えたときに「俺はお前に縫製工場の親父になってほしい訳ではないが、小さい会社だが、経営者になってほしい」と言われ、大好きなおばあちゃんの期待も一緒に、家に入る覚悟を決めました。

小倉大典の祖母、二代目代表取締役の小倉ハツ。

「このままだと
胸を張って日本に帰れない」
「何か成果を残さなければならない」と
感じていた上海赴任時代

会社を継ぐと決めてから一番苦労した出来事はありますか。

入社して5ヶ月、1ヶ月前に結婚したばかりの妻と一緒に上海に赴任しました。その時は、恥ずかしながら縫製の知識はゼロ。洋服がどうやってできているのかさえも全くわからない状態でした。しかも海外赴任を言い渡した父からは、具体的な赴任目的は何も言われず「自分がやるべきことを自分で探してこい」のひと言。ここから辛く長い3年間の幕開けでした。

赴任先は上海、とりあえず借りた住居の一部屋を事務所にして、右も左も分からない僕は、ただ日本と中国の中継役で「自分はいったい、何をやっているんだろう」と広い中国の工場の端で一人で泣いたりすることもありました。
後継者ということもあり、日本にいる社員に対しても、「このままでは胸を張って日本に帰れない」「何か成果を残さなければならない」と日々焦りが募り、気づけば半年が経っていました。

「とにかく何かを始めなきゃ」、そんな思いでまず立ち上げたのが上海にある自社の検品工場でした。当時は中国でホルムアルデヒドの検品をする場所が無く、中国で生産した商品を全て日本の弊社の工場にて検品作業をしていました。そのため膨大な時間のロスと手間と費用がかかっていたことに着目し、弊社の製品の検品を全て中国国内でできるよう、場所と人材を確保したのです。日本の弊社の工場より検品のプロフェッショナルの職人を何度も出張にこさせて指導をしてもらい、現場の教育にも力を入れていましたが、逆に委託先の縫製工場からは、目の前で何度も何度も検品して、補修させることが多くなったので、逆に煙たがられ、「小倉はうるさいから中国から出ていけ、もう小倉の仕事はしたくない」とまで言われ、なかなか「品質を上げて共に成長しよう!」という真意が共感できなく、委託先の工場とは上手くいかない日々が続いていました。

これではまずいと思い「小さくてもいいから、小倉メリヤスとしてきちんと品質を管理できる工場、小倉の意志で全て動かせる工場を小さくても良いから中国で持たなければならない」と決心して、「上海笑子服飾有限公司」を設立。そこでも経営の面で苦労したり、慣れない作業で社内の人と喧嘩してしまったりと、たくさんの壁にぶつかってきましたが、目の前のことを一歩一歩着実に進め、やっと上海で一定の成果をあげられました。
この時代、中国は劇的に成長する時代であり、どんどん賃金や家賃も物価も上がっていき、街も大きく成長していく真っ只中に自分が小さいながらももがきながら自社工場を立上げて運営できた経験は貴重なものでした。

上海にて2005年に設立した自社工場「上海笑子服飾有限公司」。

ただの「下請け工場」ではなく、
「お客さんを応援する工場」として、
お客さんと共に成長していきたい

上海の経験を経て代表に就任されたわけですが、その際に決意したことはありますか。

2015年、代表取締役社長に就任した時に改めて「人生の棚卸し」をしました。
僕の人生を振り返った時、一番生きがいを感じたのって「応援している」時だったんですよね。毎日の仕事に追われて大事なことを忘れかけていたのですが、「自分の夢に向かって頑張っている人を応援したい」、これが僕の人生観でもあり、生きがいなんです。

だから、ただの「下請け工場」ではなく、「お客さんを応援する工場」として、お客さんと共に成長していきたい。そう決意して「糸へん業界の応援団」という基本スタンスを貫いていきたいという考えに至りました。

「後を継ぎたい」と思ってもらえるような
会社にしなければならない

会社を経営する上でのモチベーションはどこにあるのでしょうか。

「先代から受け継いだ襷を繋いでいきたい」、その思いが大きいです。
祖父が創業し、そこから約10年後日本は第二次世界大戦へ突入、終戦前の3月10日、ここ東京都墨田区本所地区は東京大空襲の時に焼野原になり、もちろん弊社工場も住居も何もない酷い状況でした。何もかも全てを失ってしまいましたが、そこから創業者の祖父は、這い上がり、なんとか再建は果たし、今の小倉メリヤス製造所へと受け継がれています。その祖父から襷を託された祖母も父も「なんとか祖父のその想いをしっかりと繋いでいきたい」という思いで頑張ってきたはずです。僕が今、どんなに苦労をしてでも頑張っていられるのは、過去の創業者や先代達、またそれを支えてくれたたくさんの社員達の想いを背負っているからです。だから「絶対にこんなに重い・想い襷を僕の代で絶やすわけにはいかない。大変な思いで守ってきてくれた会社を自分の代で絶やすわけにはいかない」という思いで日々働いています。

僕にも子供がいますが、その子供たちに継いで欲しいという気持ちがないといえば嘘になりますが、今はそれよりも、「この会社を継ぎたい」「継がせてほしい」と言ってもらえる会社にすることが目標です。「継いでほしい会社」じゃなくて「継がせて欲しいと思ってもらえる会社」を創りたい。「誇りを持って襷を繋げたい。僕のモチベーションはここにあります。

どんなに小さいものづくりでも
どんなに大きなものづくりでも
「糸へん業界で一生懸命、夢や目標を
持っている人」を
全力で
応援・サポートしたい

今後、挑戦してみたいことはありますか。

「技術力をあげて選ばれる縫製工場になる」「生産性を高めるためにコストを突き詰める」このような事はもちろん、製造業としては必須なことで、外すことができない大事なことです。そこに、当社だから、小倉メリヤス製造所だから!ということを確りと築き上げていかなければならないと思っています。具体的にはどんなに小さいものづくりでもどんなに大きなものづくりでも「糸へん業界で一生懸命 夢や目標を持っている人を」全力で応援・サポートしたい。
だから個人でも、法人でも、アパレルでも、アパレル以外でも、小さくても大きくても、糸へんに関係することで弊社でできることならば、全力で応援・サポートしたいなと考えています。

これからアパレルに挑戦しようと考えている人にひと言お願いします。

僕は、自分で言うのもなんですが、面倒見が良いです。夢を追いかけて頑張っている人たちにはすぐ奢っちゃう。それでしょっちゅう妻に怒られていますが……(笑)。でも、サポートし、支えることで、喜ばれる、それが僕の生きがいなんです。
今、頑張っている人、挑戦したい人、夢を叶えたい人。小倉メリヤス製造所はそんな人たちの夢への通り道でありたいと考えます。

糸へんのものづくりは、
情熱があれば、それでよし!
その夢、目標、応援します!

糸へんに関するものづくりのことなら、どんとこい!
創業もうすぐ100年の小倉メリヤス製造所は、糸へん業界の
応援団!あなたの熱い想いを応援します。
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(月〜金 9:00〜17:45)

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小倉メリヤス製造所は
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私たち小倉メリヤス製造所は、未来を担う子どもたちのために持続可能な社会を作るべく、SDGsに積極的に取り組んでおります。

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